リチャード・ブランソン -成功者のための雑学日記-
70年代末に世界を席巻したパンクの教祖「カルチャークラブ」から、大型ショッピングストア、ソフトドリンク、大型航空会社、そして鉄道。
これら一見すると印象も規模もバラバラにも感じるビジネスを1つに束ねる新時代の起業家、それがヴァージン・グループ会長リチャード・ブランソンです。
彼が統率するヴァージングループは、ヴァージン・メガストアからレコード会社、映画館、航空、鉄道、旅行、通信、放送、出版、金融、化粧品、飲料などの多岐に渡って事業を展開。
1997年の段階でグループ傘下の会社は100を超え、売上高32億ポンド(約7,640億円)、スタッフ18,000名以上(世界22ヵ国グループトータル)と、まさに一大企業帝国が形成されています。
日本以上に保守的と言われ、起業家が生まれにくいと言われてきた英国において「リスクを冒されなければ、何も得られない。われわれ誰もが世界を変えられる」との姿勢で、一代で一大企業帝国を築き上げた現代の伝説的起業家です。
リチャード・チャールズ・ニコラス・ブランソンは、1950年7月14日に生まれた。
このころの父エドワードと母イブは、証券マンが数多く住むサリー州の静かな村、シャリーグリーンに居を構えていた。父は弁護士試験に合格したばかりで家計は厳しく、一家は今にも倒れそうな平屋を12シリングで借りていた。
元気いっぱいの少年が、入学試験のための特訓を受けて、やっとはいれたのが無名のパブリックスクールだった。入学後、初歩の数学の試験に3度も落ちてしまう。
しかし、学校側より学校経営に関しては、はるかに長けていたのは間違い無い。自分の提案の概略書を校長先生に書いて渡している。その中にはこんな項目があった。
「6年生で1日1リットルのビールを許可する。」
しかし彼は6年生になるまでに、(17歳で)その学校を退学してしまう。頭の中には壮大な構想と事業計画でいっぱいで、ほかのことを考える余裕がなかったのである。
当時の校長はブランソンを評して、億万長者になるか、犯罪者になるか、どちらかだろうといっている。
ブランソンが事業を始めたのは少年時代のこと。友人のニック・パウエルと一緒に、オウムの飼育やクリスマスツリーの栽培を手がけたがどちらも失敗に終わる。
次の本格的なビジネスは、友人たちと『Student』というかなりまじめな雑誌を刊行したことだった。有名人たちをインタビューしたり、評論を書いたりして、愛読者を増やしていった。
そして、小金がたまると彼は大好きなレコードを買いあさったが、その値段が高いのが悩みの種だった。
レコードがもう少し安く買えるのなら、若者たちがもっと多くのレコードを買うだろうなと考えた彼は、早速レコードの通信販売を開始した。
自分の世代の悩みを理解し、それを解決しようとしたのだった。その結果、彼のビジネスは大繁盛。そしてヴァージン・レコードショップ(現在のヴァージン・メガストアの前身)をオックスフォード通りの靴屋さんの2階にオープンするに至った。
レコードショップのビジネスも順調に行き始めると、他人が作ったレコードを販売しているだけでは飽き足らなくなり、自分でレコード会社を設立したくなった。悪名高かったセックス・ピストルズというパンクロックグループの曲や、マイク・オールドフィールドのチューブラーベルズなどを世に出して、一躍脚光を浴びるようになった。そしてチューブラーベルズは、映画『エクソシスト』のテーマ曲にも採用されて、世界的ヒット曲となる。
ヒットを生み出すにつれて、ヴァージンレコードは徐々にアメリカや日本などにも進出、このころからリチャードは世界中をビジネス出張するようになった。すると飛行機の旅行がいかにつまらないものか痛感するようになった。
「飛行機は人をA地点からB地点に運ぶだけの運輸業であってはだめだ。その長時間を楽しませるエンターテインメント・ビジネスでなければならない」と彼は考えるようになった。これが後日、ヴァージン・アトランティック航空が誕生する背景になるビジネス哲学となる。
34歳で航空機ビジネスを始めた後は、あらゆる分野にヴァージンは進出していった。
コーラ、消費者金融、保険、鉄道、インターネット・プロバイダー、インターネット・ラジオ、映画館、ブライダル、化粧品、アパレルなど面白そうなビジネスはすべて始めた。そしてそのすべてのビジネスには、「斬新」「楽しい」「ユニーク」という要素が加味されて、それらがヴァージンのブランドの形成に寄与した。そしてヴァージンは今や世界一流のブランドとしての地位を確立するに至ったのだ。
これが17歳で高校中退の少年がその後30年余りでやり遂げたことなのだ。だから、学歴というものは、全くビジネスや人生の成功にとって、無関係のものだということを、彼は身をもって実証している。
雑誌を創刊したときのエピソード
「そのままでは勉強も雑誌も中途半端になってしまうと感じて、とうとう決心したんだ。学校を辞めて、雑誌に専念しようと、ね。そして両親に話した。」
リチャードの父親は弁護士をしていたので、普通であればリチャードにもそういう職業について欲しいと思っていたかもしれない。ところが彼がリチャードに言った言葉は違った。
「リチャード、それは面白そうだね。もしも君が心底それをやりたくて、それをしている時が最高に幸せと感じるのだったら、やってみなさい。私たちも応援するよ」
「父は気持ちよく許してくれ、こう言ってくれた。
Nothing ventured, Nothing gained.
(リスクを冒さなければ、何も得られない)
この言葉は、それ以後の彼の生活、ビジネス、熱気球冒険などを支える人生哲学になった。
そして彼はこう話す
「人生やビジネスではいろいろな岐路があるよね。二者択一の選択をする場合、
ひとつは穏便で安全な選択、そしてもうひとつは失敗の危険をはらんでいるけれど、成功した場合の見返りが大きいとする。
僕はほとんどの場合、後者を選んできた。そのほうが、楽しみが多いし、スリルもある。それで失敗したこともあるけれど、大成功したこともあった。そんなアップ・アンド・ダウンのある人生だと毎日が興奮の連続だよね」
事実、リチャードは、ビジネスでは、得られた利益はほとんどすべて新規事業に再投資し、現金は手元の持たない主義だ。常にリスクを背負って、新しいビジネスに挑戦している。この「ダメモト精神」がこれまでのリチャードとヴァージン・グループの発展を支えてきた。
「少数の大企業が独占または寡占状態で、ある業界を牛耳っていて、消費者に対して不当な利益をむさぼっているのが、僕には我慢がならないんだ。そんな業界を見つけると、そこにヴァージングループとして進出していって、それ以上にいいサービスや商品を提供して、その業界に革命を起こすのさ。」
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