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高田明 ジャパネットたかた創業者 -成功者のための雑学日記-

高田 明ジャパネットたかた創業者

1948年長崎県平戸市生まれ。71年大阪経済大学経済学部卒業後、阪村機械製作所に入社。74年父親が経営する「カメラのたかた」入社。86年に独立して株式会社たかたを設立、社長に就任。90年に始めたラジオショッピングをきっかけに通販に力を注ぐ。99年ジャパネットたかたに社名変更

1990年代に入り通信販売事業を展開。テレビ、ラジオ、新聞の折込広告などのメディア戦略で通信販売業のトップに君臨する企業に成長していった。特にテレビ通販の場合、タレントとともに社長自らも出演し商品を独特の口調で判りやすく解説することで購買意欲を高めた。



高田は48年、長崎県平戸市で生まれた。兄と弟、妹の四人兄弟。実家はカメラ店である。

大阪経済大学経済学部に進み、英会話のサークルに入って英語に熱中した。貿易業務で好きな英語が生かせると聞き、阪村機械製作所(京都府久御山町)に就職。すぐに欧州に派遣され、機械の売り込みで西欧から東欧、北欧までを飛び歩く生活を続けた。まだ海外旅行が一般的になる以前、外国語に憧れていた20歳そこそこの若者には、刺激的な毎日だった。

だが、高田は8カ月後に帰国すると、あっさり会社を辞めてしまう。大学時代の友人に「一緒に翻訳の仕事をしないか」と誘われたためだ。しかし、その話は立ち消えになり、高田は実家の平戸に戻ってカメラ店を手伝い始めた。

「きっちり10年後とかを描くタイプじゃないんですよ。その場その場で、目の前のことに執着してしまうというか…」

そんな高田は、それまで好きだった英語の仕事をすっかり忘れるほど、写真の仕事に夢中になった。特に熱中したのは「観光写真」という仕事だった。ホテルの宴会場に出掛け、社員旅行や親睦会などの宴席に入り込み、客の写真を撮りまくる。その日の内に現像・焼き付けし、翌日の朝食の席に持ち込んで販売するというビジネスである。誰もが気後れしそうな仕事だが、高田は最初からのめり込んだ。

「お客さんが下を向いたままの写真は買ってもらえない。どうやって話し掛け、顔を向けてもらえるかが秘訣。僕が撮った写真の9割は顔がこちらを向いていて、他の誰にも負けなかった」

この頃の経験が、後の通販番組の素地になっていったのだろう。メッセージを相手にどう伝え、どう受け止めるかという貴重な訓練だった。
平戸の実家から独立し、仕事はさらに忙しくなった。一日に数百人も撮影し、店に戻ってからは妻と二人で夜っぴて写真を現像した。写真やカメラの販売と並行し、ビデオカメラやカラオケセットの販売なども手掛けるようになった。戸別訪問を繰り返し、玄関先でビデオカメラの使い方を説明して歩いた。

子供は3人立て続けに産まれた。店舗兼自宅の一階で高田が接客をしていたら、幼子が二階の階段から転げ落ちてきたことも何度かあった。親恋しさに自力で階下に降りようとして、そのまま落ちてしまうのである。それほどまでに夫婦は忙しかった。

テレビショッピングへ

ラジオショッピングを始めたのは、90年のことだった。きっかけは、地元のNBC長崎放送が商店街にラジオカーを派遣し、店先で店主に商品の説明をさせる企画を始めたからである。興味を持った高田はすぐに申し込んだ。約5分間の放送で、ビデオカメラが10台も売れた。
これを機に、高田はラジオにのめり込んでいく。番組枠を増やそうと局に掛け合うなど知恵を絞り、やがて全国展開を進めるようになる。

このビデオはね、ズームが凄いんですよ。10人並んで記念撮影して、普通は5人ぐらいしか入りませんよね? でも、このビデオだとね、10人並んでも全員が入っちゃうんですよ
観光写真や戸別訪問で鍛えられたそんな商品トークが、マスメディアという媒体を得て一気に花開いた。14万円近いビデオカメラをラジオで紹介し、一度に200台の注文が殺到したこともあった。

高田社長が愛用するローヤルゼリーを、ラジオショッピングで売っていた時。1回の宣伝で300ほどしか売れなかった。「1000万、2000万人が聞くラジオで、自分の思いがたった300人にしか伝わらない」というもどかしさ。だからある日の放送で、冒頭から「1000人、1000人、1000人」と20秒間つぶやき続けた。「1000個売れなかったらラジオショッピングを辞める」という決意で5分間、プロモーションした。その日、ローヤルゼリーは1300個売れた。
「自分が本当に信じることを、本気で伝えていけば、人に伝わると思うんです」と高田社長は語る

ジャパネットの番組は、CS放送の独自番組を含めてすべて、佐世保の自社スタジオで制作している。当初は経験者ゼロ。放送関係者からは「絶対に不可能」と言われた。
それでも高田社長は自社スタジオにこだわった。「自分たちの思いを伝えるスタジオは、自分たちの手で作るしかないと思った」から。社内でメンバーを募り、制作会社のスタッフに指導をあおぎ、生番組が放送できる体制をたった半年で整えた。

その後の成功はあまりにも有名だ。現在、全国で流れる同社のテレビ通販番組は、年間で延べ1万本以上に達し、年商は700億円を超えるようになった。