南部靖之 人材派遣サービス創出者 -成功者のための雑学日記-
南部靖之は1952年に兵庫県神戸市で生まれた。父親は、化学系の工場を営む経営者。わりと裕福な家庭で育った南部は、伸びやかに育った。小さい頃は近所のお寺に書生として学び、お寺の和尚さんから様々なことを吸収した。普段学校では習わないような、情操教育をそのお寺では受けた。
高校卒業後、関西大学工学部に入学。関西大学在学中には、仲間とともに情操教育を主眼とする「大阪YBS」という名の塾を設立。子供に勉強を教えるかたわら、心の教育もてがけた。そして就職活動をはじめた1976年。就職活動で感じた企業の求人ニーズと塾を通して知り合った子供の母親の求職ニーズに着目、人材派遣のビジネスを思いつく。1976年大学卒業の1ヶ月前に10坪の貸ビルの一室を借り人材派遣会社「テンポラリーセンター」設立。オイルショック直後で各社とも経営縮小を余儀なくされ、派遣ビジネスは歓迎され、事業は急速に成長した。
経歴
1952年、3人兄弟の末っ子として神戸で生まれる。1971年関西大学工学部在学中、仲間と共に情操教育を目的とした塾「大阪YBS」を設立。76年大学卒業の1ヶ月前に人材派遣会社「テンポラリーセンター」を設立。オイルショック直後で各社とも経営縮小を余儀なくされ、派遣ビジネスは歓迎され、事業は急成長。87年からは家族と共に米国コネチカットに移住。93年1月にテンポラリーグループのCEO(最高経営責任者)に就任。同年6月、社名とグループ名を「パソナ」に変更。2000年6月1日付で事業再編を行い、新生パソナとして事業を展開している。
エピソード
南部氏は就職活動であちこちの会社をまわったが、皆忙しそうでまともに対応してくれない。そんな時「そんな忙しいなら人ひとりくらい雇ってくれてもいいじゃないですか」との南部氏の問いかけに、人事の人から>「社員ひとり雇うということは億単位のお金がいるということなんだよ。忙しいからといって、その度に社員を雇っていたら会社はつぶれてしまう!」と一蹴された。
ならば、「必要なときだけ必要な人数も人材を雇い入れる雇用形態を創ろう。」と思いつき立ち上げたのが人材派遣ビジネスの先駆けとなる会社、テンポラリーセンター(現パソナ)である。
会社設立は1976年2月大学卒業の1ヶ月前。場所は南森町の十坪の貸しビルの1室に創立メンバー4名だった。
その会社設立の1年半後には大阪の一等地、中ノ島のイトマンビルに会社を移転した。
南部氏は当時のことをこう語る。
「相当な冒険と言わなくてはなりません。何しろ家賃がべらぼうに高いんです。でも僕としてはどうしてもこのビルに入りたかった。迷ったらやる。やるときめたら、まっしぐらなんです。なぜイトマンビルにこだわったかと言うと、つまるところ、われわれの人材派遣事業がサービス業だからです。メーカーならば自社製品を見せて、使ってもらって取引先の信用を勝ち取ることが出来ますが、われわれはそれが出来ない、だから大阪一のビルに城を構えることで会社の信用を得ることが大切だと考えた。
事実、イトマンビルに移転してから会社の業績は急速に伸びていった。
またその1年半後にはプレスセンタービルに東京進出し東京本社とする。
「自分の好きな事をして成功する。これは何も芸術家やスポーツ選手に限った事でなく。ビジネスの世界もそうなんです。好きな分野であればこそ、人は最大限の努力を惜しまないし、夢を実現するための工夫と知恵を発揮する。そのことにおいて。芸術もスポーツもビジネスも皆同じなんです。」と南部氏は言う。
93年1月にはテンポラリーグループのCEO(最高経営責任者)に就任。同年6月、社名とグループ名を「パソナ」に変更。95年度財界経営者賞も受賞した。
