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服部金太郎 セイコー創業者 -成功者のための雑学日記-

服部合太郎(はっとり・きんたろう)1860〜1934セイコーの生みの親は元祖職人

「精工舎」から世界のセイコーへ
服部セイコー創考徹底的な技術の追究で困難とされた腕時計の量産化に成功した。
日本初の腕時計、世界初のクオーツウオッチを開発し現在も時計関連で有名であり、オリンピックなどの世界大会などで公式スポンサー、オフィシャルタイマーとしてたびたび参加している。

「手に職を持つに限る」
 服部金太郎はペリー来航から七年後の万延元年
1860年、江戸の京橋采女町の古道具屋に一人
息子として生まれている。桜由門外の変が勃発し
た年で、日本の歯車がいよいよ明治維新という革
命に向かって動き出した激動の時代である。

生家は古道具屋といっても店舗を構えているわ
けではない。事業に失敗し、名古屋から逃げるよ
うにして江戸へ出て来た父親が、夜ごと銀座の表
通りで開く露店が生活の糧を得る場だった。

13才で京橋八官町の唐物屋(輸入品を扱う店)
に丁稚奉公に出た金太郎は、その勤勉な性格
から仕事の覚えも早く、店の主人に重宝されたと
いう。




だが、一日も早く店を構えて独立したい、と考
えていた金太郎にとって、相当の資金と人手のか
かる唐物屋はそれほど魅力のある商売ではなかっ
た。それよりも、通りを隔てて向かい側に建つ店
の看板が気になって仕様がない。「舶来各種御
時計販売並びに修繕」。小林という名の時計店だっ
た。客足はそれほどでもないのに、丁稚を多く抱
え、繁盛しているという。
不思議に思って覗いてみると、じきにそのカラ
クリが分かった。時計屋は販売の傍ら修理もやる。
その儲けがばかにならないのだ。金太郎の頭にひら
めくものがあった。

「資本がなければ手に職を持つに限る。修理と販
売で食っていけるなら、これほど手堅い商売はな
い」

明治7年(1874年)、唐物庭に見切りをつけ
た金太郎は、日本橋の時計店「亀田」に入る。時
に14才。その2年前(明治5年)、明治政府は
太陰暦に代わって太陽暦を採用し2日を24時
間とする、時の制度がスタートしている時計が庶
民の必需品となるのは文字通り時間の問題だった。


「精工舎」誕生

17才で下谷の坂田時計店に移るが、ここの技
術は日本一といわれた。時計師として代々続いた
家で、弘化の頃(1840年代)指輪に小さな時
計を仕掛けて世間の度肝を抜いたという。金太郎
は昼夜を問わず、腕を磨きに磨いた。しかし、時
計以外の事業に手を出した坂田は3年後に破産。
閉店してしまう。
 
20才の金太郎は独立を決意して実家に戻り、
看板を出す。そこにはこう記してあった。「時計
一切修繕所」。だが、坂田仕込みの腕で生活は困
らないにせよ、修理だけでは儲けは知れている。
そこで金太郎は、独自の蓄財術を編み出した。夜、
店を閉めると毎日のように夜店を流して歩き、壊
れた時計を見つけるや二足三文で買い叩く。これ
を修繕すれば滅法高く売れる。利幅はべらぼうに
大きい。

こうして四年間で150円を貯め込み、明治14
年1881年)、銀座の裏通りに「服部時計店」
の看板を掲げる。一国一城の主となった金太郎は、
ここから本格的な時計王への道を踏み出していく。

当時、東京の時計店は横浜の「アイザック商会」
「コロン商会」など、外国の輸入商から商品
を仕入れた。その取引法は一カ月の信用借り。つ
まり商品を借りて店頭に卸し、一カ月後に代金を
支払うという、一種の「ブローカー」だ。しかし、
日本に西洋の商慣習は浸透しておらず一カ月や二
カ月の遅れなどザラだった。ところが金太郎はこ
の決済期日を違えたことがない。三度の食事に事
欠いても、必ず守った。それが外国人輸入商の絶
大なる信用を得て、取引量は日に日に増えていっ
たのである。

商売は順調に伸張し、明治20年1887年、
店を銀座四丁目の表通りに移転する。
そして明治25年(1892)、本所石原町に
工場を設立し、「精工舎」が誕生する。
従業員12、3名の小さな工場だったが、4年後
には日本で最初の懐中時計を、10年後の明治
35年1902には置き時計を世に送り出し、
時計メーカーとして揺るぎない地盤を築いていった。

修理職人を工場長に大抜擢

この草創期、金太郎の片腕として活躍したのが
技術者の吉川鶴彦だった。もともとは時計の修理
職人で、学歴もなく、工学の基礎知識があったわ
けでもない。しかし、職人的なカンは素晴らしい
ものがあり、機械の写真を見ただけでたちどころ
に同じものを作り出したという。いわばイミテー
ションの名人、といったところだが、技術を外国
製品から学ぶしかなかった当時、その才能は得難
いものがあった。

大正141925年、最もも困難とされた腕
時計の量産化に成功したのも、この吉川の力によ
るところが大きい。一介の修理職人を工場長に抜
擢し、会社の礎を築いた金太郎の慧眼には恐れい
るばかりだ。
また、金太郎が個人経営から株式会社に組織替
えしたのは大正6年のことだが、外部資本は一株
たりとも入れなかった。常に自己資本をベースに
事業を展開したのだ。大正12年1923年9
月、関東大震災によって社屋、工場の大部分を失
うが、この再建にあたっても借入金をしていない。

 昭和7年6月、今も銀座のシンボルとして親し
まれる服部の時計塔が完成。その2年後、金太郎
は73才の生涯を閉じている。

服部金太庫の年表
1860(万延l)江戸京橋の古道具屋に生まれる
1873(明治6)13才で唐物屋に奉公
1874(明治7)亀田時計店に移り、時計工として修繕販売を修業する
1881(明治14)独立して服部時計店を開業
1887(明治20)銀座4丁目に進出
1892(明治25)精工舎を設立。時計の製造を本格的に開始し「セイコー」のブランドを創設
1895(明治28)日本初の掛け時計を製造
1925(大正14)腕時計の量産化に成功
1930(昭和5)私費を投じて財団法人・服部報公会を設立
1932(昭和7)銀座に時計塔が完成
1934(昭和9)73才で他界