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レイ・クロック -成功者のための雑学日記-

レイ・クロックマクドナルド創業者

1902-1984。アメリカ・イリノイ州オークパーク生まれ。高校中退後、ペーパーカップのセールスマン、ピアノマン、マルチミキサーのセールスマンとして働く。1954年、マクドナルド兄弟と出会い、マクドナルドのフランチャイズ権を獲得、全米展開に成功。1984年には世界8000店舗へと拡大した(現在マクドナルドは世界119カ国に約30000店を展開)。後年にレイ・クロック財団を設立。さらにメジャーリーグのサンディエゴ・パドレス獲得など精力的に活動を行った。

1954年、52歳だったレイ・クロックはミルクセーキ用のミキサーを売るために全米を旅していました。そんな彼がロサンゼルス東部のサンバーナーディノで出合ったのがマクドナルド兄弟のハンバーガー・レストランだったのです。
 清潔な店内、シンプルなメニュー構成、標準化された調理手順、セルフサービスによる効率化などに感心したクロックはチェーン化したいという望みを抱きます。
 それが始まりでした。以後、クロックはマクドナルドを大きくするために事業に取り組み、現在のような全世界的チェーンをつくり上げたのです。五二歳からの遅いスタートでしたが、彼は大きな成功を収めることができました
1954年、ミルクシェイク用ミキサーのセールスマンで企業家のレイ・クロック(Ray Kroc)が、ミキサーを売りに兄弟の店にやってきたとき、マクドナルドの仕組みについて興味を持つようになった。

特にクロックが興味を持ったのは、マクドナルド兄弟のレストランの回転が大変に速く、相当数の人数の客を次々とさばくことができることだった。すっかり感心したクロックは、ミキサーのメンテナンス(修理および調整)のためにレストランにやってきたとき、マクドナルドのシステムをフランチャイズ形式にして、システムそのものを売る商売を始めてはどうかと兄弟に勧めた。

クロックは、マクドナルドを売り込むために熱心に働いた。彼は、近々できるディズニーランドの中にマクドナルドのレストランを入れるように積極的に売り込んだ。この試みは失敗したが、このときにウォルト・ディズニーにも直接売り込んだ。

結局、クロックは、イリノイ州デスプレーンズに最初のフランチャイズ店を出店した。これは即刻大成功となった。クロックは新しい会社を作った。社名は"McDonald's Systems Inc."(マクドナルドシステム会社)。この会社は1955年3月2日に設立された。1960年には、社名を"McDonald's Corporation"(マクドナルドコーポレーション)に変更した。

クロックのマクドナルド兄弟との契約は、兄弟が生産工程について責任を負い、会社の株式による利益を受け取る。そのかわりにクロックが販売拡張の全責任を負うことになっていた。

1961年までに、クロックは拡張に失敗した。すっかり裕福になりそれ以上余分な仕事をしなくてもよいと計算したマクドナルド兄弟は、270万ドルでマクドナルドの全権利をクロックに売り渡すことで合意した。
この金は、クロックが多くの投資者からかき集めたものだった。投資者の中にはプリンストン大学も含まれる。この契約では、マクドナルド兄弟は、自分たちの店を "The Big M"(ザ・ビッグM)という名前に変えてそのまま続けてもよいことになっていた。

クロックがそのマクドナルド兄弟の店のほんの1ブロック北に自分の店を開くまでに、あまり時間はかからなかった。もしマクドナルド兄弟が、もともとの契約(全チェーンの年間売り上げの0.5%を兄弟に支払う)を維持していたら、現在、兄弟は年に1億8000万ドルを手にすることになっていたはずである。なおマクドナルド兄弟の店はその後閉店し、今はもうない。

これ以来、マクドナルドコーポレーションは、世界の至るところに店を開いた。1990年1月31日、ソビエト連邦のモスクワで、共産圏初のマクドナルドハンバーガーショップが開店した。マクドナルドが貧民のための低級で不健康な食物とされているアメリカ合衆国と違い、マクドナルドがステータスシンボルとなっている地域も存在しているといわれる。

また、マクドナルドは、清潔で臭わないために賞賛もされている。マクドナルドのビッグマックの価格は、ビッグマック指数と呼ばれ、通貨間の購買力平均価格の比較手段として使われた。この指標の考案者は、イギリスの経済雑誌『エコノミスト』誌(The Economist)である。マクドナルドの標準化は、同時に生活様式や経済活動のグローバリゼーションを意味した。トム・フリードマンは自著の『レクサスとオリーブの木』の中で、"黄金のM型アーチ理論"として「マクドナルドのある国同士は戦争を行わないだろう」と予言した。この予言は、アメリカのセルビア爆撃によって破られた。